2013年01月10日

労働者の怒りの深さにおののいている奴らにこの春の闘いをたたきつけよう

本日、新年・阿佐谷デモ! 福島圧殺内閣は許さない!
1月10日(木)18:30阿佐谷けやき公園集合〜19:00デモ出発
2013[1].jpg
217-1[1].gif

■本日のもくじ
●ひと言!
●2013闘春 明けましておめでとうございます。 日刊・動労千葉NO.7429 1/1より
●2013団結旗開きに集まろう! 日刊・動労千葉NO.7430 1/4より
●被災地・福島の怒りと力合わせ、社会を変える2013年へ! 救援本部ニュース406号2013.1.3より
●「福島圧殺内閣」倒そう! 救援本部ニュース405号 2012.12.28 より
●戦争責任問い核廃絶と反原発の意思引き継ぐ 救援本部ニュース404号2012.12.26より
●オスプレイ飛行モード、国は調査せず 2013年1月4日 10時08分沖縄タイムス
●福島原発作業員:手足被ばく測定せず…事故後2〜3カ月 毎日新聞2013年01月04日
●手足被ばく:適切対処、信じがたい…専門家、東電批判 毎日新聞 2013年01月04日
●日米同盟と原発・第4回・ビキニの灰(1)第五福竜丸の衝撃 2012年12月25日東京



3a953aefc0259b6f59d8263aec78fcc1[1].jpg
1/7鈴木コンクリート工業・工場前に登場
d7f2d2adaf94c6b8dc89227128c849e3[1].jpg
1/8アメリカンアパレル本店前に初登場
(いずれも北島邦彦すぎなみ未来boxより)


★★ひと言! 
安倍新内閣は、原発再稼働・増設推進を実質的に公言し始めた。福島の、全国の数十万数百万の怒りと行動を圧殺する宣言だ。また、オスプレイ配備への10万人抗議集会に決起してきた沖縄県民に対して、普天間移設はへ名護市辺野古でやるのだと傲然と言い放っている。ここに本質的には脆弱きわまりない安倍政権がおかれている今の資本と国家の末期の姿がある。12・16で野田政権を打倒した労働者の怒りはもっと大きくなって、この政権と資本総体に猛然と向かっていく。総選挙結果のトリックに絶望などしていない。政権を奪い取りながらも、労働者の怒りの深さにおののいている奴らにこの春の闘いをたたきつけよう。
 大恐慌の進展は、株価がどうなろうと資本主義の最後に向かって進んでいる。この春、労働契約法や高年齢者雇用安定法の改定実施をもテコにして、総額人件費の大幅カットと労働者の総非正規化・外注化にひた走っている。その最先頭にJR資本がいる。鉄道の安全だとか技術の継承とか労働そのものの根幹を解体し、ただただ原則的にたたかう労働組合をつぶすこと、そのために分断につぐ分断をして、労働者を資本と国家の存続のためにいつでも使い捨てられるモノにしていく攻撃だ。しかしこれほどエゲツナイ攻撃をしても資本も国家も生き延びることなどできない。
 さてさて、山本太郎さんの選挙が示したのは、膨大な人々が原発をはじめ、今の社会のあり方への根底からのNO! の意志だ。鈴コン共闘会議集会でもどんどん新たな職場からの「絶対反対」の団結した闘いが登場している。鈴コン分会は1・7仕事始めに今年も社前闘争で幕をあけた。
 本日のNAZEN杉並の新年第1弾デモを成功させよう!
 2・17労働者集会を、国鉄・外注化阻止・非正規職撤廃の春闘決起集会として大成功させよう!
 3・1ビキニデー59周年〜3・11二周年闘争を、職場・地域から闘おう!
 東京西部ユニオンに加入しよう! 


2013闘春 明けましておめでとうございます。 日刊・動労千葉NO.7429 1/1より
 昨年10月、検修構内業務の外注化が強行されて40名以上の組合員がCTSに強制出向させられた。2001年以来10年以上、激しい組織破壊攻撃を受けながら、外注化だけは許してはならないと真正面から立ち向かい続けてきた課題だっただけに、動労千葉にとっては国鉄分割・民営化に次ぐほどの大きな節目となる年だった。
 もう一点。25年目にして、ついに1047名闘争で国鉄改革法の壁に穴を開ける手がかりをつかみとった。6・29判決だ。動労千葉の9名は、当初、JR採用候補者名簿に搭載されていたのに直前に「不当な動機」によって作られた不採用基準によって外されていたことが明らかになった。
 新たな闘いが始まった。あらためて原点に返らなければいけない。労働運動全体が、雪崩うって屈服していく困難な状況であるが、われわれが実現してきた闘いのもつ意味は決定的だ。……
 安倍超反動政権と対決し、階級的労働運動の復権を…
外注化粉砕に向けた第二ラウンドの闘いに総決起を!…
(★全文は→→http://www.doro-chiba.org/nikkan_dc/n2013_01_06/n7429.htm )


2013団結旗開きに集まろう! 日刊・動労千葉NO.7430 1/4より
 1月12日、2013年団結旗開きを開催します。2013年、新たな闘いへの決意と団結をうち固めるため、全支部からの全力の結集を訴えます。
 昨年は、10月1日にJR東日本の検修・構内の外注化が強行され、動労千葉では44名の仲間が強制出向に出された。絶対に許す事ができない。検修・構内職場をJR本体に戻す闘いを全力で押し進めなければならない。
 また、鉄建公団訴訟の第一審判決が出され、名簿から動労千葉の組合員を削除した国鉄の行為を明確に不当労働行為と認定しながらも解雇撤回を認めないという矛盾に満ちた反動判決であった。控訴審は12月17日に始まった。国鉄改革法を打ち破り、JRの法的責任をより明確にさせ、解雇撤回・JR復帰をかちとるため、全力を傾注しよう。…
 新たな大合理化攻撃の「経営構想X」…
反失業・非正規職撤廃へ…
(★全文は→→http://www.doro-chiba.org/nikkan_dc/n2013_01_06/n7430.htm )


被災地・福島の怒りと力合わせ、社会を変える2013年へ! 救援本部ニュース406号2013.1.3より
再稼働止めて生き抜くために!もっと強く、もっと大きく広がって
「命を守る」闘いはまだ、これからだ! 3・11大震災・福島第一原発事故から3年目。2013年が始まりました。
 被災地・福島の怒りと結んで、数十万、数百万の人びとが原発再稼働に反対。全原発の即時廃炉を求めて、官邸前・国会前と全国で行動に立って野田政権を追い詰めて倒した2012年。今度は、さらに露骨な安倍政権が登場。日本と世界で資本主義の最後の延命策、新自由主義をごり押しして戦争と大恐慌を爆発させ、3・11で被災地を切り捨ててきた日本の政治危機、経済危機は深まるばかり。彼らが「日本を取り戻す」なんて絶対にありえない! 巨大資本の利潤確保のための改憲・戦争も原発再稼働も、外注化も首切り・賃下げ、非正規化も、増税と年金・医療・社会保障切り捨ても許さない。何が「総選挙で示された民意」だ。社会を動かし続けている労働者の怒りの深さ激しさを思い知れ!ということです。…
(★全文は→→http://blogs.yahoo.co.jp/shinsaikyuenhonbu/10037727.html )


「福島圧殺内閣」倒そう! 救援本部ニュース405号 2012.12.28 より
野田を倒した民衆の怒り、被災地・福島の怒りをさらにたぎらせ、安倍ブルジョア独裁政権ぶっとばせ!
 前回の衆院総選挙より票を減らしたにもかかわらず、たった4割の得票で8割の議席を独占した自民党安倍政権が、発足当初から本性むき出しの超反動政治を進めようとしています。
 茂木敏充経済産業相は27日の閣議後の記者会見で「安全性が確認された原発は、政府の責任において再稼働」と言い切り、「30年代に原発稼働ゼロを目指す」方針すら「再検討が必要」とし、「原発新増設せず」の方針も白紙に戻す、核武装と一体の核燃サイクルについても「完全に放棄するという選択肢はない」と継続の意向を表明しました。
 まさに、「福島圧殺内閣」でなくて何か。…
(★全文は→→http://blogs.yahoo.co.jp/shinsaikyuenhonbu/10009006.html )


戦争責任問い核廃絶と反原発の意思引き継ぐ! 救援本部ニュース404号2012.12.26より
 「はだしのゲン」の漫画家、中沢啓治さんが亡くなりました。自伝的漫画の主人公のゲンが、原爆投下後の広島でたくましく成長する姿は反響を呼び、平和教材として活用されたほか、英語やロシア語など18カ国語に翻訳され、海外でも出版されました。 中沢さんは、作品で訴えた原爆の悲惨さを教訓として伝える活動を続けてきました。その思いは、戦争責任を問い、原爆の廃絶と原発反対を明確にしたものでした。 8月6日の広島・平和記念式典に自分の意思で参加したことはなかった。「だって全然問わないからね、戦争責任を。平和宣言やって、鐘鳴らして。こんなもんじゃないだろう。もっと怒りを持たねばならない」(毎日新聞) 米軍による広島、長崎への原爆投下を「実験場にされた」とみていた。原爆以前から反戦運動をしていた日本画家の父晴海さんが投獄され、一家で「非国民」といじめられた経験、日本人自身が昭和天皇やA級戦犯の戦争責任をうやむやにした怒りを漫画に込めたのでした。 怒りの矛先は原爆にとどまりませんでした。原子力の利用そのものにも鋭い批判を向け、福島第一原発事故について、東京新聞の取材に、原子力はまだ人間は制御できないと訴えたとのこと。…
(★全文は→→http://blogs.yahoo.co.jp/shinsaikyuenhonbu/9999514.html )


オスプレイ飛行モード、国は調査せず 2013年1月4日 10時08分沖縄タイムス
 沖縄防衛局のオスプレイ目視調査の項目に、飛行モードがないことが3日までに市民の情報公開請求で分かった。本紙や県、市町村は日米合意で避けるとされた市街地上空のヘリや転換モードの飛行を繰り返し確認し、違反を指摘している。防衛局は違反を否定しているが、根拠資料がないことが明らかになった。ルールを守らせる態勢が日本側にないまま、オスプレイは7月までにさらに12機増えることになり、県民の反発は必至だ。(阿部岳)…
(★全文は→→http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-04_43524 )


福島原発作業員:手足被ばく測定せず…事故後2〜3カ月 毎日新聞 2013年01月04日 02時30分(最終更新 01月04日 02時40分)

 東京電力福島第1原発事故後2〜3カ月、足元のがれきなどが高線量なのに胸部だけで放射線測定し作業していたことが、元東電社員らの証言で分かった。手足の被ばくは「末端部被ばく」、頭などの被ばくが胸より多ければ「不均等被ばく」と呼ばれ、その場合は胸とは別に手足などへも線量計装着が法令で定められている。東電は「当初は胸部での測定で全身の線量管理はできていた」とするが、専門家は疑問視し、将来健康被害が生じた場合に備え、手足などの被ばく線量を早急に推計すべきだとしている。
 ◇東電「胸部での測定で線量管理」
 同原発で放射線管理を担当していた東電社員(当時)の男性は、事故直後の電源復旧作業の際、1号機の原子炉建屋近くで水たまりに何度か足を突っ込んだ。革製安全靴と靴下は浸水。周辺の線量は毎時10〜20ミリシーベルトだったが、足元には直接測ると100ミリシーベルト超のがれきもあった。建屋周辺では連日、数百人が作業に当たっていた。…
(★全文は→→http://mainichi.jp/select/news/20130104k0000m040097000c.html )

手足被ばく:適切対処、信じがたい…専門家、東電を批判 毎日新聞 2013年01月04日 02時30分(最終更新 01月04日 02時42分)

 福島第1原発事故の発生から2〜3カ月間、きちんと管理されていなかった疑いが浮上した作業員の「末端部被ばく」と「不均等被ばく」。問題ないとする東京電力側の説明に対し、専門家は「信じがたい。『適切に対処していた』という結論に持っていくための言い訳に聞こえる」と批判した。
 東電によると、事故後はガンマ線用の胸部のAPD(警報付き線量計)だけでなく、作業後に拠点の免震重要棟でサーベイメーター(放射線測定器)による全身の汚染検査を実施。東電はこれにより末端部被ばくや不均等被ばくも適切に管理できていたと主張する。11年3月には汚染水に足を入れた作業員3人が170ミリシーベルト以上被ばくした高濃度汚染が判明したが「これが分かったのも全身の汚染検査できちんと管理できていたからだ」(東電広報部)と強調する。
 しかし、同原発で放射線管理を担当していた東電社員(当時)の男性は事故直後、水たまりに数回にわたり足を突っ込んだが、免震重要棟の汚染検査でいずれも「問題なし」とされた。その理由を関係者は▽水たまりの汚染が高濃度ではなかった▽当時、免震重要棟内の汚染度も高く、サーベイメーターで正確に計測できなかった−−のいずれかと見る。男性の測定では、当時の免震重要棟内の放射線量は、場所によっては国が定める平常時の除染基準の4倍以上あったという。…
(★全文は→→http://mainichi.jp/select/news/20130104k0000m040098000c.html )


【日米同盟と原発】第4回「ビキニの灰」(1)第五福竜丸の衝撃 2012年12月25日東京新聞より

PK2012122502100107_size0[1].jpg

 一九五四(昭和二十九)年三月一日、太平洋のビキニ環礁沖で操業中のマグロ漁船「第五福竜丸」が米水爆実験に巻き込まれた「ビキニ事件」。船は大量の放射能を含む「死の灰」を浴びて二十三人の乗組員全員が被ばく。さらに幅広い海域で汚染された魚が見つかるなど、その被害は庶民の食卓にまで及んだ。世論が激しく反発する中、日米両政府は被ばくの恐怖をひた隠し、事態の沈静化を急ぐ。広島、長崎の原爆からわずか九年、再び核の犠牲になった日本。それでもなお原子力開発へ突き進んだのはなぜか。その背景を探った。 (文中・表の敬称略、肩書・年齢は当時)
◆西から昇る太陽
 一九五四(昭和二十九)年三月一日、日本の南東三千五百キロ先の太平洋マーシャル諸島沖。その年の一月下旬、静岡県焼津港を出発したマグロ漁船「第五福竜丸」は、メバチマグロなどを狙って操業を続けていた。
 戦後初の原子力予算二億七千五百万円(現在の三十億円相当)を盛り込んだ政府の修正予算案が衆院本会議で可決される三日前だった。
 東経一六六度、北緯一二度。「地上の楽園」といわれ、美しいサンゴ礁の広がるビキニ環礁は百六十キロ西にあった。二〇一〇年、世界遺産に登録されるビキニ環礁は当時、国連の信託統治下。ところが、実質的な支配力を持つ米国は第二次大戦後の一九四六年以降、周辺住民を移住させ、原爆などの核実験場にしていた。
 第五福竜丸が出港する三カ月ほど前の五三年十月、米海軍はビキニ環礁の周辺海域を危険区域に指定し、日本政府に伝えた。公式発表はないが、近く核実験を行うという事実上の通告だった。第五福竜丸も海上保安庁を通じてこの情報を入手していた。念のため操業地点を警戒区域の境界から三十キロ沖合に離し、万一に備えていた。
PK2012122502100108_size9[1].jpg 第五福竜丸の乗組員は二十三人。十〜三十代の若い男たちばかりだった。生存者の一人で現在八十五歳の見崎進は当時、二十七歳の操舵(そうだ)手。見崎によると、船はその日午前四時から漆黒の海へはえ縄を投げ入れ、漁を始めた。「波は穏やかで、見上げると空いっぱいに星が輝いていた」
 船に異変が起きたのは三時間余り後、大海原に薄日が差し始めたころだった。甲板で朝飯を済ませ、船首へ向かって歩いていた見崎は左手に目もくらむような強烈な光をみる。「昼間のようにパッと明るくなった」
 その十分後。海底がせり上がるように「ゴゴゴゴー」という地鳴りを上げ、それまでなぎだった海面が波打ち始めた。西の空から不気味な入道雲が船に迫り、船内は騒然となった。
 このころ、現在八十歳の池田正穂は甲板下の機関室で機械を点検中だった。当時二十一歳。若い操機手だった。
 池田は「上の方で先輩らが『太陽が昇ったぞ』『バカ野郎、西から上がるか』などと言い争っている声が聞こえた」と証言。「早く逃げろ」という怒声で、慌ててエンジンのスイッチを入れたのを記憶している。
 午前十時ごろ、池田が外気を吸いに甲板へ上がると、まるで銀世界だった。が、気温二六度の太平洋上で、雪なぞ降るわけがない。得体(えたい)の知れない白い粉が甲板に一センチも積もり、歩くと長靴の跡がくっきり残った。
 見崎は閃光後も甲板に残っていた。長袖を着ていたが、露出した頭や首筋、手などに白い粉を直接浴びた。二、三日後、首の後ろが激痛に襲われ、手の甲に水膨れができた。腹痛と下痢が続き、帰港間近には髪の毛も抜けた。「普通じゃねえ」と思った。
 他の乗組員も似たような症状を訴えた。誰もが白い粉のせいと思ったが、怖くて口に出せなかったという。
 強烈な光、地鳴り、白い粉…。すべては米国がこの日、ビキニ環礁で実施した水爆実験が原因だった。
 白い粉は爆発で上空に吹き飛んだサンゴの残骸。大量の放射能を含んだ「死の灰」だった。米国が指定した危険区域をはるかに越えて百六十キロ先の第五福竜丸にまで降り注ぎ、乗組員全員が被ばくした。
 米国は軍事機密を理由に水爆実験を公表しなかったが、最年長の無線長、久保山愛吉(39)は気づいていた。船の異変を無線で知らせれば、傍受した米軍に拿捕(だほ)されると思い沈黙を通した。
 「船がドカンと受けたのを米国に知られたら連行される」。操機手の池田は、久保山が漏らしたひと言を今も覚えている。
 三月十四日、第五福竜丸は焼津港に戻った。その二日後、新聞報道をきっかけにビキニ事件が明らかになり、国民を震撼(しんかん)させる。戦後日本が平和利用の名の下に原子力開発への一歩を踏み出す時期とまさに重なっていた。(5回シリーズ つづく)
  
posted by 東京西部ユニオンブログ at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。