2013年02月05日

ビキニと福島 59周年の3・1との3・11の2周年を廃炉へのたたかいの日に!

3・11からもうすぐ2年! 大恐慌と安倍の「モルヒネインチキ景気」の中で、この2〜3月大量首切りが強行されようとしている。反原発☆反失業!今こそ団結しよう!
 3・11―あの日から、この国と権力者・資本家の「命よりカネ」の醜悪な姿をイヤと言うほど多くの人が目にし、意識してきた。決してあきらめない、騙されない、そして、労働者の団結とたたかいだけが(国会やボス交渉ではなく!)現状を突破して、原発廃炉の道だ! 運動する中のウソや「ヒソヒソ話」もぶっ飛ばす時代が来た!
▼2月17日(日)労働者集会 17時開会 すみだ産業会館(錦糸町駅前・丸井8階)
▼2月24日(日)橋下打倒集会・デモ 13:00〜大阪中之島公園女神像前   
▼3月 1日(金)ビキニデー「原発いらない杉並集会」セシオン杉並大ホール18:30〜
  ●山本太郎さんの大石又七さん(第5福竜丸乗組員)インタビュー映像
●井上さん(ふくしま疎開裁判運動) 
▼3月11日(月)反原発福島行動'13 福島県教育会館大ホール 12時開場
 
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今日は、ビキニの学習!!!

■学習メモ ビキニ事件 NAZENホームページより転載
※引用は基本的には大石又七氏著『矛盾 〜ビキニ事件、平和運動の原点』。
※他に、『ビキニ事件の真実 〜いのちの岐路で』等。

【1】ビキニ環礁における水爆実験そのものについて

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▲広島型原爆の1000倍の放射能をふりまいた1954年3月1日のビキニ環礁での水爆実験
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◎1954年3月1日 ビキニ環礁 水爆実験ブラボー
 「五〇メートルのやぐらの上にセットされた水爆は、珊瑚礁のナム島を跡形もなく吹き飛ばし、巨大な放射能を含むキノコ雲となって成層圏に這い上がり、地球を覆った。あとには深さ60メートル、直径2000メートルの大穴を残している」(大石又七さん『矛盾』)
  核融合によって爆発する水爆。15メガトン=広島原発の1000倍。
   ※第二次大戦に使われたTNT火薬すべて、広島・長崎の原爆を足して3メガトン。朝鮮戦争1メガトン、ベトナム戦争7メガトンと言われる。
・1953年12月のアイゼンハワー米大統領による「アトムズ・フォー・ピース」演説。核技術の拡散を原発の商業化という形で承認しつつ、核兵器へと転用をIAEAを軸に取り締まり、核技術とウランの供与を軸にソ連に対峙する軍事ブロックの形成へ。「平和利用」の言葉とはかけ離れた核実験の連続。
ソ連の水爆実験を受けて巻き返しをはかるアメリカ。ビキニ環礁で6回の水爆実験=キャッスル作戦。その一回目。
  1946〜58年にマーシャル諸島のビキニ環礁とエニウエトク環礁において、合計67回、1000メガトンの大気圏核実験。
     ※マーシャル諸島は、ベルサイユ条約によって日本帝国主義が統治していたものが、日本の敗戦によって空白に。アメリカが統治・支配。

◎大石又七さんの目に映った水爆
「夜明け前の薄明かりが水平線を映し出し始めた矢先だった。西側の水平線から夕焼け色の淡い光が『サァー』と流れるように東側の水平線まで覆いつくし、それが止まったまま消えなかったのだ。常識では考えられない異様な状況に驚き、地球か宇宙に大変異でも起こったのだろうかと声も出せずに立ちすくんだままだった」(『矛盾』)
「『ドドドドーゴー』。海底から海全体を持ち上げるような轟音が足元からつき上がってきたのだ。不意を食らって反射的に持っていた食器を放り投げ、両手で頭を抱え込みながら賄いの入り口に頭を突っ込んだ」(同)
「すっかり夜が明け、光が出ていた西の水平線を見ると、入道雲を三つ四つ重ねたような雲が空を突いていた。…不思議なことに、風上にいる俺たちの方に向かって覆いかぶさるようにスピードを増し、どんどん広がってきたのだ」(同)
「晴れていた空をまたたく間に曇りにしてしまい、二時間ぐらい経つと低気圧でも近づいたかのように風も出てきて雨も混じりながら真っ白な粉がたくさん吹き付けてきた。ちょうど粉雪が降ってきたようだった。…粉は顔にあたっても熱くないし、臭いもしない。唇に当たるのを舐めても味もなく溶けないで砂のようにジャリジャリして硬かった。…デッキ衣には足跡がつくほど積もっていた」(同)
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▲新木場近くにある第5福竜丸展示館で 大石又七さん

◎ビキニ事件と放射能
 放射線量は、ヒロシマ原爆の爆心地から800mに相当すると言われる。久保山さんの被爆線量は少なくとも5シーベルト。27種類の放射能をばらまく。ストロンチウム90、ヨウ素131、セシウム135、そしてプルトニウム239。内部被爆の問題は大きい。
 「放射能の影響は灰をかぶったその日の夕方から出た。頭痛、めまい、吐き気、下痢などが全員にあり、二日目頃から灰が当たったとことがふくらみ始め、中に水がたまっていた。それは放射線によるヤケドだった。十日目頃から髪の毛が持った分だけ、引っ張ると痛くなく抜けるようになった。…乗組員は、船ごと食べ物も水もすべて放射能まみれの中で二週間寝起きしながら帰ってきた」(『矛盾』)
 厚生省が塩釜、築地、三崎、清水、焼津の5港を指定し、マグロ検査。100カウント以上は地中深くや沖合いに廃棄。汚染マグロを水揚げした船は856隻、汚染マグロは半年間で487.5トン、刺身にして250万人前。「なぜか厚生省は、魚は調べたが、乗組員の方は詳しく調べようとしなかった。さわらぬ神にたたりなしとでも言わんばかりに…」(『矛盾』)
 北海道や新潟の雪、3000、4000カウント、東北の稲に1020カウント、小豆の葉に3345カウント、東京の雨にも1万2000、大阪2万4000、京都8万6000カウント。
 危険区域から北東870kmのプランクトン(1g)から1万4000、クラゲ(1g)2500カウント。
  →調査の仕方もまったく不十分。100カウント基準はとてつもなく高い。
    ※「カウント」という単位は、「cpm(カウント・パー・ミニッツ)」などのカウント、実際はガイガーカウンターをあてて計るという以上のものではないと思う。グラムあたり、と言った質量や容積を伴っているものはベクレルに、それ以外はシーベルトに近い考え方の計り方ではないか。

【2】フクシマとビキニ。全く同じことがおこっている
◎米の核実験の責任のがれ、隠蔽、棄民。
 アメリカ政府は、「内部被曝の損傷はなかった」、「珊瑚の粉じん」と「肝炎」が久保山愛吉さんの死因と今も居直っている。無電を打てばアメリカに傍受され、抹殺されると判断、打たずに帰路につく。
 「二年前、音信不通で突然姿を消した船があり、漁師仲間ではアメリカ軍に沈められたのではないか、と言う噂が流れていた…もし潜水艦が目の前に浮き上がり、一発撃ち込まれたら、こんな木造の木っ端舟など一瞬にして消えてしまう。あのときは本当に怖かった。今でも思い出すと身震いする。…アメリカ軍の最高軍事機密で極秘に行っていた核実験を見てしまった」(『矛盾』)
 「漁師たちが危険区域内で実験をスパイしていたこともありうる」(コール米原子力委員長)
「俺たちにとっても重要である福竜丸の『航海日誌』が国会で被爆位置を発表した後、消えた」「二〇〇三年に朝日新聞が、アメリカ国立公文書館からその航海日誌のすべてのコピーを探してきた。コピー機がある時代ではない。誰が複写しアメリカに渡したのか?」(『矛盾』)
 「二〇〇六年、TBSが同公文書館から入手してきた『当直日誌』のコピーと第五福竜丸展示館にある『当直日誌』(現物)を見ると事件当日、三月一日の内容の一部が明らかに違う。手が加えられ書き換えられているのだ」(同)
→人間を抹消し、証拠を隠ぺいし、核の独占をしてきたアメリカの責任。
    ※「二三人の漁夫は、二,三週間、長くてもせいぜい一ヶ月もしたら治るだろう」(ABCC=原爆傷害調査研究所・モートン所長)などといいながら、アメリカに連れて行こうとした。
        →「モルモットにされてしまう」と乗組員全員で反対。
    ※ネバダ被爆者「アメリカ政府は私たちを静かに殺しているのです」
        →福島で使われる言葉と同じ言葉が。

◎御用学者たちの見解
「放射能を調べるガイガーカウンターは、その頃いくつかの大学にはあったが、一般にはなかった。これらの資料は各大学には残されたが、なぜかすべては公表されなかった」(『矛盾』)
  不安を打ち消すために、政府は科学者と報道陣を組織し「俊鶻丸」を派遣(米大使館に計画責任者の藤永元作博士に呼ばれ、計画の中止を迫られる)。ビキニ環礁から南西87マイル(約161km)のマグロの内臓から7550カウント、深さ50mの海水5800カウント。
   ※「この程度のものなら大きな池に赤インクを数滴落としたぐらいのもので大海の海水に拡散されてしまうから心配ない」(東京大学海洋学者・檜山義夫 「放射能におびえる『無知』」4月10日付朝日新聞)
   ※「いまの程度の放射能雨なら永久に飲んでも害はないと思う。ラジウム泉を飲むつもりで飲みなさいとすすめたいぐらいだ」(大阪大学・朝田常三郎)

◎マグロ廃棄の放射線量の基準の緩和から、検査の打ち切りへ
 12月に「100カウント」から500カウントに基準値が引き上げ。そして、12月23日には検査の中止を閣議決定。
※政府「魚類に沈着している放射能同位元素は、危険度の極めて小さい亜鉛65であることが確認でき、しかも現在までに検知した魚類の汚染度を持ってしては、人体に危険を及ぼす恐れがまったくないことが確認されるに至った」
  →被害総額は26億円とされた。しかし、払われたのはわずか7億2千万。原子力事故は、責任をとったり、保証をすることなどできるものではない。福島で示されたこととまったく同じ。
→同時に、すべてを保証しないという形で分断が始まる。
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◎「見舞金」の7億2千万で分断と運動つぶし
「ビキニ核実験で被爆した船は被害の程度にこそ違いはあるが、「俺たちも光を見た、灰をかぶった」という船はたくさんあり、久保山さんよりも先に亡くなった人もいる。この人たちも反対運動に加わり、被害補償を求めていた。だがアメリカが、自由主義諸国を守るための実験だから違反ではない、保証も賠償もしない、とはっきり言い切ったため、他船の乗組員たちは一斉に自ら口を噤んでしまった。保証されないで被爆者という汚名だけが残れば、偏見と差別だけが残る。それは家族にも及んでいく」(『矛盾』)
「被害を受けながら、何の保障もされないほかの船の船員や漁業関係者はこれではおさまらない。一部の怒りの目が、俺たちの方に向けられてきた。騒ぎを起したうえに見舞金までもらった、というのだ。俺たちは放射能障害の恐怖とともに、C型肝炎ウイルス、漁民からの妬みという三重の苦しみを受けることになってしまった」(同)
   ※50年経っても歪曲されつづけるビキニ
    ・「この市民講座では今まで解明されていたこともいくつか修正された。魚労長の見崎さんご本人から、『第五福竜丸のマグロには汚染はなかった』ということと、『この実験ではキノコ雲は生じなかった』ということなど、誤解されていた学会員も多いかもしれない」(日本放射線影響学会第50回大会の市民講座の司会のまとめ。2007.11.17→ネット上にある)
・「(大石さんに対して)まるで評論家気取りだ」「福竜丸で信頼できるのは親身になってはなしてくれた見崎漁労長のみ。今生き残っている乗組員の気持ちは、福竜丸の物はすべてなくし、早く忘れ去ってほしいと言うのが偽らざる気持ちだ。見崎さんが一番その思いを強くしている。そして共産党系に福竜丸を利用されるのを一番嫌っていた」(ミニコミ誌発行人・杉末廣氏)
    ・1993年ごろから「福竜会」。「発病や死の知らせは、仲間たちから俺のところに、先に届くようになっていた。…会報のように見崎さんの会長名で一方的に送られてくるようになった。…『俺たちに近づいてくる者はみな共産党系の者だから気をつけろ』とか『マスコミなどには関わらないで、静かにしていよう』『ビキニ被爆者とか、元福竜丸組合員であることなど、みんな忘れたほうがいい』『不信の念ありとすれば人間失格だ』とまで書いて事件を口にしないように仕向けるものだった」(『矛盾』)
・担当医で、久保山さんの死因を「放射能性肝病変」と診断し涙を流してアメリカを弾劾した熊取敏之医師も、放射線医学総合研究所所長になってから発言内容が変化。
      →「航海の責任者だった見崎さんは、先頭に立ってそのことを(国際法に違反する核実験ということ―引用者)アメリカや日本政府に訴え、死んでいった乗組員やその遺族の力になってほしい。命を落とした仲間に向かって、『被爆とは関係ない』などと口が裂けても言ってはいけないのだ。船乗りの責任者は乗組員の命をたばねて預かっている、その自覚のない者に責任者としての資格はないと思う。」(『矛盾』)
  →国家総出で今でも同じ船に乗った仲間同士をいがみ合わせようという分断工作。
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▲マーシャル諸島(水爆実験から20数年後)ヤシの木の頭が生えない状態

【3】ヒロシマ・ナガサキのプレスコードを吹き飛ばして開始された原水禁運動
 静岡・焼津と東京都杉並から始まった署名運動は、日本で3200万、世界で6億7千万という数へ。原水禁大会(55年8月6日)へと発展した。
ヒロシマ・ナガサキの怒りはビキニ事件によってはじめて解き放たれたこと。プレスコード(原爆のことはタブー、逮捕)のもとで、ヒロシマ・ナガサキの被爆者は全国に飛散、水面下で原爆のことがささやかれていたものが、一気に爆発していった。そういう意味で、ビキニ事件は「平和運動の原点」と大石さんは訴える。
「ここを境に、ビキニ被爆者と広島・長崎の被爆者は対照的な方向をとりはじめる」(矛盾)
しかし、大石さんは原水禁運動の発展とビキニの忘却・原発の導入が並行して進むのを見ていた。平和利用論は、運動の内部からも生まれていく。結果、8・6はヒロシマ、8・9はナガサキの日とされてきたにもかかわらず、3・1はビキニの日とされてこなかったこと。この問題が重要なテーマではないか。

【4】原発導入の「人柱にされた」
※「日本には毒を持って毒を制すという諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対をつぶすには、原子力の平和利用を大々的に謳いあげ希望を与える他ない」(柴田秀利・日本テレビ。正力とともに米CIAのD.S.ワトソンと会っていた)
※「こうして原爆におびえ、憎み、反対ののろしばかりを上げ続けてきた日本に、初めて『毒は毒をもって制す』、平和利用への目を開かせる掛け声が、全国にこだましたのだ」「日本中が、自分たちの思い通りに変わっていくのを見ながら、私は感涙の涙を流した」「舞台裏に身をひそめながら、喜びと感動に打ち震えていた」(柴田の残した手記)
 →「日本側にとっても、ビキニ事件は原子力技術と原子炉を早急に導入するための格好の取引材料になった」「こうした取引を裏付けるように、ビキニ事件が決着すると、その年、1955年6月21日、日米原子力協定がワシントンとの会談で仮調印され、翌年には原子炉が茨城県東海村に送られてくるという早さだった。つまり、ビキニの被災者たちは、日本原子力発電の人柱にされたのだ」(矛盾)

◎原発導入を見据えて、米の責任回避を申し出る外務省「ツチヤ」
  ※「反対運動を押さえ込むには、米国が一括見舞金を日本政府に払い、政府が病院、船主、漁業団体など主だったところに配分すれば、日本人は事件をすぐに忘れる」(ツチヤ=当時欧米局長→ニューヨーク総領事、土屋隼人と見られる)

◎1955年1月4日、鳩山政権下で、重光葵(まもる)外務大臣とアリソン米駐日大使が覚書
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「本使は、アメリカ合衆国政府が、マーシャル群島における一九五四年の原子核実験の結果生じた傷害又は損害に対する補償のため、二百万ドルの金額を、法律上の責任の問題と関係なく、慰謝料として、日本政府に対して提供することを閣下に通報します。(略)アメリカ合衆国政府は、日本国政府が、前記の二百万ドルの金額を受諾するときは、日本国並びにその国民及び法人が前記の原子核実験から生じた身体又は財産上のすべての傷害、損失又は損害についてアメリカ合衆国又はその機関、国民若しくは法人に対して有するすべての請求に対する完全な解決として、受諾するものと了解します」
 →「俺たち乗組員が入院していては事件の解決にならないというのか、五月二十日、全員そろって一斉に退院する」(矛盾)
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◎原爆医療法制定の過程。平和利用論への運動内部からの屈服
 最初の口頭要項の段階では、水爆実験被災者や、今後生ずると思われる原子力工業に基づく被災者等も含まれていたと言う。
「原爆医療法制定のときも、原案にはビキニ被爆者も救済対象に入っていたのに、国会通過直前にビキニ被爆者まで加えると自民党が認めないと言って、当時の社会党は広島・長崎だけに絞りビキニをはずしている。そのあとも国は、俺たちをなんとしても被爆者として認めようとしないのだ」(『矛盾』)
※「絶対多数の与党で困難を示しているときに、ビキニ被爆者や原発被曝者全体を含めるということは益々成立が遅れるだけだ、と言う判断が社会党にも出てきたわけ。とりあえず現在、広島・長崎の被爆者、犠牲者をどうするかというところに絞らなくきゃあ。それで自民党の譲歩を求めなきゃあ…絶対多数ですからね」(社会党参議院議員・藤田進:当時)
 原発・核技術導入を契機にした、ビキニの忘却・隠ぺいと原水禁運動の発展を見ていた大石さん。原水禁運動をいかに発展させてこれたのかを問い直す必要がある。率直に言えば、国家と真正面から闘わなかった社会党と、平和利用論の先頭にたった日本共産党。新しい政治は、こうした政党の欠点を見据え、克服していく、労働者民衆自身の党を作っていくことでなければ。

【5】原点はビキニの怒り
◎アメリカの核実験への怒り
「福竜丸の乗組員は23人、これまでに約半数の14人がすでにガンなどを発病して死んでいった。俺も肝臓ガンを発病したが、摘出手術で幸運にも生き延びている。だが、肺には腫瘍があり、徐々に大きくなっているし、白内障、糖尿病、気管支炎、不整脈、臭覚も消えて1日36種類もの薬を飲んで命をつないでいる。これらは持病ではない。アメリカの核実験によって加えられた病気であり、死だと思っている」(『矛盾』)

◎久保山愛吉さんの死
「久保山さんの一部始終と壮絶な最後を看取ることになる」「『背中に高圧線が走っている、焼かれる』と手足を動かし暴れ出し、…奥さんは暴れる久保山さんをおさえながら聞き返した。『なにやったって効きゃあしない、こんなことはもうたくさんだ』とすごい形相で怒鳴り返した。…一気に本音が噴き出してきたのだ」「この怒りの叫びは、のちに少しずつニュアンスを変えて語られ、書かれ、偶像化されていく。『原水爆の被害者は私を最後にしてほしい』という柔らかな表現になっていった」(『ビキニ事件の真実』)
「『いよいよ来るか、何番目だろう。あの七転八倒の苦しみは味わいたくない』と一部始終を思い返しながら、久保山さんの苦しんだ姿に自分を重ね、覚悟を決める日々だった。今でもあのときのことを鮮烈に思い出す。悲しみ、怒り、そして恐怖。俺は決してわすれない」(同)
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◎同じ船に乗り生死をともにした仲間への思い
「福竜丸の乗組員も、被爆者というレッテルを貼られるのが怖くて口をつぐみつづけているが、後から後から起こる仲間の不幸にももう俺は黙っていられない。すでに半数以上の十四人が同じ病気で命をとられた。この仲間たちの無念も晴らさなければならない」(『矛盾』)
「九州の高木さんが火葬されたとき、海の男なのに火葬場の人にこんな軽いお骨初めて、と言われたという。清水(現在の静岡県清水区)の半田さんは自転車で転倒し、骨折したところがどうしてもくっつかない上に、長い間、痛い痛いと苦しんだ。検査するとすでにガンが体中に転移していて死んでいった」(『ビキニ事件の真実』)

【6】立ち上がる大石又七さん
◎乗組員が殺されていく怒り、核兵器への怒り
「亡くなった乗組員の遺族が苦しい生活に追いやられているのが気の毒で、被爆者として認めないならせめて船員保険の遺族年金ぐらいは何とかしてほしいと、静岡の年金保険課に…三年通った。だが、国は最後まで冷たかった。年金保険課の回答は、被爆者としてではなく、死亡診断書にC型肝炎と書かれている者のみを船員保険で認めるというのだ。C型肝炎ウイルスは一九八八年に発見され…それ以前の者には肝炎ウイルスが発見されていないのだから懸かれていないのは当然だ。…まったく矛盾している。これだけはっきりしているのに、何としても国は認めようとしないのだ」(『矛盾』)
「俺の発言は平和運動とは違う。被爆のために死んでいった仲間たちが口を閉ざされ、小さくなって逝った悔しさ、怒りを代弁するところから始まった発言だ。核兵器も世界中に増える一方。怒りも頂点に口を開かずにはいられなくなったのだ。…不利になろうと嫌われようと、本当のビキニ事件の真実を正確に伝えよう、そう思った」(同)

◎結婚差別を乗り越えて
「『被爆者』というこの三文字は、人権をも踏みにじる。…いざ結婚となると必ずと言っていいくらい相手の親や身内から反対の声があがる。…俺の娘は二度、その悔しさを味わった。そんな時、俺には、悲しむわが子にかける言葉も慰めの言葉もない。ただ黙ってこらえるだけだった。…次に出会った彼に亜h真っ先に夢の島の展示館に行き、『私のお父さん、この船に乗っていたんです』と、そこから始めていた。…不釣合いぐらい立派な人とめぐり合え、今では孫も生まれ、幸せに暮らしている。そのような結果が喜びと安心につながり、俺もこれまでの辛かったことや悲しい事件の出来事を口に出せるようになったのかもしれない」(『矛盾』)

◎中学生たちとの出会い
「差別と偏見をまともに受け、理不尽な政治決着、どれだけ日米政府を恨んだことか。腹を立てながらも八方塞がりで何も出来ず、追い詰められて俺は東京の人ごみの中に隠れた。そして十四年も口を噤み続けていた。不幸は、その間にも後から後から続いて起こった。俺も結婚はどうにかできたが、最初の子どもで受けたショック(大石さんの最初の子どもは、死産だった。身体形成を破壊された嬰児であったことを医師に伝えられ、「顔も見ずに葬ってしまった。申し訳ない」と語る大石さんは、この事実を語るまでに多くの時間を必要とした。−引用者)、これは本当に絶望的だった。『不幸、くるなら来てみろ』と捨て鉢になって開き直っていた。乗組員の仲間も、一人、また一人と同じ病気で亡くなっていく。その人たちを見送りながら怒りはますます高まっていった。隠れている場合ではない、この悔しさが誰にも知られず忘れ去られていく。当事者が声をあげなければ他人にはわからない。どうすればいいのだ。分からないまま悔しさを抱えていた。そんな時、積極的な中学生たちに出会ったのが事件を口にするきっかけになったのかもしれない」(『矛盾』)

◎アメリカで声をあげる人々との出会い(3・1焼津集会)
「世界中どの国の人も、平和を嫌いな人はいない。ほんの一部の欲張りが、自分のことだけを考え、戦争を起こしている。…話を聞いているうちに、ビキニ事件がいかに重要な意味をもっているかも分かってきた。これは被爆者だけの問題ではない、核兵器が人類を脅かしている。そのことのほうが大きな問題なのだと思うようになった。悔しさと矛盾を胸いっぱい抱えながら、事件の内容を調べるようになった」(『矛盾』)
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【7】まとめ
 3・1ビキニと向き合うことが3・11フクシマにつながっていく。ビキニの怒りに学んで、すべての原発をいますぐなくすために、立ち上がっていこう。とりわけ杉並からもう一度原水禁運動をこえる反核運動をつくっていきたい。(了)



“過去最大値の放射性物質”(NHK 1月18日 )
 東京電力福島第一原子力発電所の専用港で行われた魚介類の調査で、「ムラソイ」からこれまでで最大となる1キログラム当たり25万4000ベクレルの放射性セシウムが検出されました。東京電力は、魚が外側の海と行き来しているおそれがあるとして、今後、港を網で取り囲むなど対策を進めることにしています。
 福島第一原発の事故で放出された放射性物質による魚介類への影響を調べるため、東京電力は先月、原発の東側にある専用港でアイナメやムラソイなど5種類の魚を採取し、放射性セシウムの濃度を測定しました。
その結果、ムラソイ1匹から、これまで魚から検出された値としては最大となる、食品の基準の2540倍の1キログラム当たり25万4000ベクレルが検出されました。
 また、タケノコメバル1匹から1010倍、アイナメ1匹から400倍など、5種類の魚すべてで基準を超える放射性セシウムが検出されました。
 これまでの調査で魚から検出された放射性セシウムの最大値は、去年8月に南相馬市の沖合1キロで採取されたアイナメの1キログラム当たり2万5800ベクレルでした。
 東京電力は、原発の専用港で捕れた魚から極めて高い濃度の放射性セシウムが検出されたことから、こうした魚が外側の海と行き来しているおそれがあるとして、今後、港を網で取り囲むなど対策を進めることにしています。

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2013年02月01日

3・1ビキニデー<原発いらない☆杉並集会>動き出す!

<ビキニ米水爆実験・被ばくから59年 3・1原発いらない☆杉並集会>動き出す!
「被ばく」について世界的なすべての政治勢力のウソや屈服の歴史が今問い直される!!!

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↑この日の昼間は阿佐谷で反原発デモやって、気勢を上げて錦糸町へ! 

■本日のもくじ
●ひと言 3・1原発いらない☆杉並集会>動き出す! 
●ボーイング787型機「高くついた外注化の教訓」 『外注化阻止ニュース53号』1/23
●ホームと最大37cm段差!安全破壊のワンマン化反対!日刊・動労千葉NO.7443 1/29
●キハ130系で故障多発 ワンマン運転なんかできるか? 日刊・動労千葉NO.7439 1/21
●福島の作業員 線量知らずに除染 被ばく量通知なし 2013年1月18日 7時04分東京
●国支払いの除染事業 健診・講習費 作業員持ち 2013年1月13日 東京朝刊
●東電に99億円請求被ばく米兵8人の代理人弁護士に聞く ウォールストリートジャーナル(日本版)2013年 1月 18日 18:36肥田美佐子のNYリポート より
● 「結論覆す」、決意の反論=高校生8人、入試中止で会見−大阪市(時事2013/01/21-22:36)
●【日米同盟と原発】「ビキニの灰」(5)「平和利用」の大義(東京新聞2012.12.25より)
●アルジェリア人質事件の本質 『前進』第2560号より


●ひと言 3・1原発いらない☆杉並集会>動き出す! 
▼今、福島で起きていることは、59年前に起きていた!
息をのむような、すさまじい現実
 1年で3千万人の署名、世界で6億人以上の原水爆禁止署名を集めた運動、ヒロシマ・ナガサキを明るみに出し、「二度とくり返しませぬ」と言わしめた運動が始まったにもかかわらず、「核の平和利用」論に屈した運動や、被害のごく一部を涙金でごまかし、「経済」「資本」「科学万能」に屈した歴史こそが、3・11に行き着いた!
▼行動しよう 労働者の目で、ウソを暴き、職場で、命を守り、食えるだけの賃金と労働条件を団結の力でもぎとろう
★2月17日(日)労働者集会へ! 17時開会 錦糸町・すみだ産業会館(丸井8階)
 動労千葉はじめ国鉄闘争全国運動がよびかける国鉄闘争集会・・春闘決起集会です!
★2月17日(日)反原発・阿佐谷デモ予定!13:30集合 14:00出発
阿佐谷でデモをやって、夕方の錦糸町の労働者集会へ行こう!
★3月1日(金)18:30〜セシオン杉並大ホール(丸の内線・東高円寺or新高円寺から7分・環七沿い)
  ビキニ水爆実験から59年 原発いらない杉並集会
  


ボーイング787型機「高くついた外注化の教訓」 『外注化阻止ニュース53号』1/23動労千葉を支援する会
 外注化と軽量化で深刻な事態
 ある報道の見出しです。ボーイング787型機のトラブルが頻発しています。…バッテリー異常だけでなく、エンジンやブレーキ、車輪の不具合、燃料・オイル漏れなど「故障連鎖」と言われています。 787型機は、翼やかじ、ブレーキなど、従来は油圧で動かした部品を電気信号とモーター駆動に置き換え、徹底した軽量化で燃費は2割も向上したといいます。17機を保有する全日空は従来の中型機63機をすべて替えると、利益が年間100億円も増えるそうです。しかし、無理な軽量化が重大な結果を招いたのです。
設計・開発・製造を丸投げ外注化
 最大の原因は、端的に言って「外注化」です。…
(★全文は→→http://www.jpnodong.org/pdf/gaityuuka53.pdf )


ホームと最大37cmの段差!安全破壊のワンマン化反対!日刊・動労千葉NO.7443 1/29
◎激しいホームとの段差。運転士一人で対応など不可能だ!
 久留里線(木更津〜久留里駅間)のホームからステップまでの段差を調べたところ、15cm以上の段差がある駅が11駅中9駅、さらに4駅は25cm以上の段差があった(左表参照)。さらに、車両の床までは15cmのステップがある。合計すれば、最大で52cmの段差だ。
 久留里線は、年配の方にも利用されている。また、最も段差の激しい小櫃駅は小学生の通学で利用される駅だ。当然、乗り降りに手助けが必要な場合もある。しかし、駅員のいる駅は3駅(木更津、横田、久留里)のみである。
 これまでは、運転士と車掌とで対応することで乗客の安全を確保してきた。しかし、ワンマン化されれば運転士一人で対応することになる。事故や遅れの原因となることは明らかだ。…
(★全文は→→http://www.doro-chiba.org/nikkan_dc/n2013_01_06/n7443.htm )


キハ130系で車両故障が多発 ワンマン運転なんかできるか? 日刊・動労千葉NO.7439 1/21
▼導入から1ヶ月で17件も発生ーワンマンになったら対処なんかできるはずがない!
 12月1日から久留里線への運用が開始されたキハ130系車両において、車両故障が多発している。運用開始から1ヶ月で17件もの故障が発生している状況だ。(一覧表参照)
 新型車両については、いわゆる初期故障が発生すると言われているが、1ヶ月間に17件も故障が発生するなどということは聞いたことがない。しかも、運用開始後2日目にはエア抜きホースが外れて冷却水が噴出したり、パイロットが転倒しているにもかかわらずドアが開いているとの表示がでたり、力行しても加速しないなど、重大な故障が次々に発生しているのだ。
 しかもキハ130系は、水戸の水郡線で導入されており、今回のような故障については解決されていなければならないはずだ。しかし、それが解決どころか頻発する状況では、まともに運転などできるはずがない。千葉支社は、こんな状況の中で久留里線のワンマン運転を導入しようとしているのだ。
 車両故障が多発している状況の中で、ワンマン運転導入など絶対に無理だ。
 久留里線のワンマン化導入絶対反対!ローカル線切り捨て反対!反合・運転保安闘争で闘おう!
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(★→→ http://www.doro-chiba.org/nikkan_dc/n2013_01_06/n7439.htm )


福島の作業員 線量知らずに除染 被ばく量も通知なし 2013年1月18日 7時04分東京
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 東京電力福島第一原発事故に伴う国直轄の除染事業で、受注した業者の一部が、作業員らに現場の放射線量や被ばく線量をきちんと伝えていない実態が、本紙の作業員らへの取材で分かった。除染作業は被ばくの危険を伴うため、適切な安全管理が不可欠だが、現場の実情は、国の規則に違反しているだけでなく、作業員の健康への影響が懸念される。…
(★全文は→→http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013011890070435.html )


国支払いの除染事業 健診・講習費 作業員持ち 2013年1月13日 東京朝刊

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 東京電力福島第一原発事故に伴う国直轄の除染事業で、作業員の健康診断や安全講習の費用は国から出るにもかかわらず、業者が作業員本人に負担させていたことが、作業員らへの取材で分かった。除染事業をめぐっては、作業員への不透明な給与支払いが横行。今回の問題も、従業員の健康確保などを定めた労働安全衛生法などに抵触する恐れがある。 被ばくの危険がある除染作業では、業者は作業員を雇う際に、白血球の数など詳細な健康診断を受けさせるよう国の規則で義務付けている。除染作業には不可欠の草刈り機も、使うには安全講習を受ける必要がある。…
(★全文は→→http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013011302000086.html )



.東電に99億円請求した被ばく米兵8人の代理人弁護士に聞く ウォールストリートジャーナル(日本版)2013年 1月 18日 18:36肥田美佐子のNYリポート より


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▲東日本大震災後「トモダチ作戦」のため三陸沖に停泊中、甲板を洗い流す空母「ロナルド・レーガン」の乗組員(2011年3月)

. 東京電力福島第1原発の事故から1年10カ月余りがたった。
 日本では、東電に対し、福島県内外の住民による複数の刑事告訴が進行中だと報じられているが、米国でも、昨年12月21日、カリフォルニア州サンディエゴの米連邦地裁に、東電を相手取り、1億1000万ドル(約99億円)の損害賠償を求める民事訴訟が起こされた。
 訴えたのは、サンディエゴの米海軍基地を母港とする原子力空母「ロナルド・レーガン」の乗組員8人。東日本大震災直後、米海軍の被災地支援プロジェクト「トモダチ作戦」で三陸沖に停泊し、飛行甲板での除染作業などに当たっていた。
 訴状によると、原告のなかには、甲状腺の異常や持続性片頭痛、腸からの出血などの症状が見られるという。当時、女性乗組員のおなかの中にいた乳児(昨年10月、誕生)も損害賠償の対象になっている。
 請求額の内訳は、原告一人あたま1000万ドルの損害賠償金に加え、東電が放射能に関する正しい情報を与えず、被ばくし、健康を害したとして、二度と同じようなことが起こらないよう抑止することを目的とする「懲罰的損害賠償」3000万ドルだ。また、別途、原告をはじめ、日本の被災者などに治療を施す非営利医療組織の設立基金、1億ドルも求めている。…
(★全文は→→
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323284004578249023802135586.html )


「結論覆す」、決意の反論=高校生8人、入試中止で会見−大阪市(時事2013/01/21-22:36)
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 大阪市教育委員会が橋下徹市長の要求通り、市立桜宮高校の体育系2科の入試中止を決定した21日夜、同校3年の男子生徒2人と女子生徒6人が記者会見に臨んだ。「私たちは納得いかない」「学校を守りたい」。8人は「まだ結論を覆せるかも」と、橋下市長と市教委に対し、決意の反論を展開した。
 市役所5階の記者クラブで午後7時半から1時間余にわたった会見。8人はいずれも運動部の元キャプテン。制服のブレザー姿で横一列に並んだ。
 「体育科に魅力を感じて受験したいと思う生徒がほとんど。普通科に回されるのは、私たちは納得がいかない」。女子生徒が口火を切った。橋下市長が同日朝、全校生徒を前に説明したが、「具体的な理由がなく、私たちの声も十分に聞いてくれなかった。思いは1時間で話せるわけがない。『生徒、受験生のことを考えて』と何度も繰り返したが、在校生と受験生のことを考えたらもっと違う結果があったんじゃないか」と訴えた。
 橋下市長が体罰の背景に「生徒たちも容認していた」「勝利至上主義」などと発言していたのに対し、女子生徒は「容認していないし、勝つことだけが目標ではなく、礼儀など人として一番大切なことを教えてもらっている」と反論。自殺問題について「心の傷は深く、重く受け止めている。傷を癒せるのは先生」として教諭の総入れ替えにも反対し、「多くの生徒が学校を守りたいと思っている」と強調した。
 男子生徒は「今回の結果が覆せるんじゃないかと、強い思いを持ってきた」と会見の動機を語った。別の女子生徒も「今まで続いている伝統は今でも正しいと思っている」と力説した。 ★→→http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013012100907&g=soc


【日米同盟と原発】「ビキニの灰」(5)「平和利用」の大義(東京新聞2012.12.25より)
◆動きだす産官学
 広島、長崎に続いて三度、核の犠牲になった日本。ところが、その悲劇はかえって、原子力の平和利用を勢いづかせた。
 ビキニ事件が明るみに出た半月後の一九五四(昭和二十九)年四月一日、衆院は「原子兵器の使用禁止」などを求める緊急決議案を全会一致で可決。しかし、決議には「原子力の国際管理とその平和的利用を促進する」などの文言もあった。
 議員を代表して提案理由を説明したのは、須磨弥吉郎(61)。前月に戦後初の原子力予算を議員提案したばかりの中曽根康弘(35)と同じ改進党だった。
 国会会議録によると、須磨は「二度ならず三度までも原子兵器の惨害を受けた日本は最大の発言力を有する」とした上で「この動力を平和産業に振り向けることができるなら、世界が原子生産力による第二産業革命ともいうべき新時代を開拓し、本当の意味の平和を樹立できる」と述べた。
 第五福竜丸の地元、静岡県焼津市もそう。衆院決議の五日前、市議会は、まるで国の動きを先取りするように原子力の平和的利用を盛り込んだ決議案を可決していた。
 一方の科学者。「科学者の国会」と呼ばれる日本学術会議はこの時期、中曽根らの原子力予算を「時期尚早」と、反発していた。
 五四年四月二十三日の総会で発表した声明文は「今日の国際情勢は人類の平和と幸福に貢献するという確信をもってこのエネルギー源の研究を進められるにはほど遠い」としながらも、原子力開発の条件に「公開、民主、自主」を掲げた。
 これは後に平和利用三原則として、現在に至る日本の原子力政策の基本となる。学術会議は、原子力そのものを否定したわけではなかった。
 第五福竜丸の無線長、久保山愛吉の死去から約二カ月後の五四年十一月十五日、東京で開かれた「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」。
 米国側からは原子力委員会(AEC)の専門家七人が出席。表向きはビキニ事件で高まった人体や食品の放射能汚染に関する意見交換が目的だったが、日本側にとっては原子力開発に向けた被ばく管理や対策などの情報収集の狙いもあった。
 会議が開かれる一カ月前、通商産業相(現・経済産業相)の愛知揆一(47)と自由党の参院議員宮沢喜一(35)が極秘に訪米。米政府から原発に関する文献や資料などの提供を受けていた。宮沢は後に首相に上りつめる。
 日米会議の資料によると、AECの生物物理課長ワルター・クラウスは、国立衛生試験所や気象研究所の研究者、大学教授ら日本の専門家を前に「数カ月間、放射能に汚染された魚を一匹食べたところで、人体に悪影響はない」と発言した。
 会議から一カ月半後の五四年十二月三十一日。厚生省(現・厚生労働省)はビキニ事件を機に続けていた南方沖で水揚げされたマグロの放射能検査を突然打ち切った。各都道府県に通知した文書には「人体に対する危険を及ぼす恐れがまったくないことが確認された」と記してあった。政府による事実上の事件の幕引きだった。
 その一週間前の十二月二十五日のクリスマス。原子力予算を使った海外調査団が欧米に向け羽田空港を飛び立った。メンバーは通産官僚や大学教授、後に原子炉を手掛ける日立製作所などの重電メーカー幹部ら産官学の十四人だった。
 日本を震撼(しんかん)させたビキニ事件。ところが、原水爆に反対する世論のうねりは皮肉にも原子力の平和利用へ口実を与えることになった。それこそ反核、反米運動を鎮めるため日本へ原子力技術を提供する米国が描くシナリオに沿うものだった。
 日米の思惑が重なり、日本の原子力開発に向けた歯車は大きく動きだす。その中心的役割を担ったのは読売新聞社主で、後に初代の原子力委員長に就任する正力松太郎(69)だった。
※「ビキニの灰」シリーズは以上。


アルジェリア人質事件の本質 『前進』第2560号より

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▲2011年春、アルジェリア労働者のデモ

 仏軍のマリ侵略の停止を要求 資源巡る帝間争闘戦が根底に
 16日に起きたアルジェリア人質事件は、現代世界の危機と激動をまざまざと示した。イナメナス天然ガスプラントは、軍事要塞(ようさい)さながらの施設にされていた。「フランス軍のマリ作戦の停止」を要求して人質を取った勢力はもともと、隣接するマリ、ニジェール、リビア、アルジェリアで国境の区別なく生活してきた民族の出身だと言われる。今回の事態は、チュニジア革命から始まった革命的激動、さらにNATO(北大西洋条約機構)によるリビア侵略戦争と一体のものだ。
 アルジェリア労働者の決起
 今回の日本人人質の中には日揮の新谷正法最高顧問(前副社長)ら最高幹部級が含まれていた。現場は広大な砂漠に囲まれ、武装勢力が脱出できる見込みはゼロだった。だがアルジェリア政府は、状況の詳細を把握することなく空爆するなど武装勢力も人質も無差別に殺害し制圧を急ぐ方針をとった。時間をかける余裕はなかったのだ。
 アルジェリアでは、いわゆる「アラブの春」の前から巨大な労働運動の決起が始まっていた。2010年に駐アルジェリア米大使が本国に送った公電(ウィキリークスが暴露)によると、毎週のようにさまざまな労働組合によるストが起きていた。食料価格暴騰に対するデモは毎日起き、全国の地方都市の官庁は包囲されていたという。
 これが2010年秋からのチュニジア労働者の決起を契機に爆発的に発展した。軍と治安警察の暴力的弾圧と食料補助金政策の発動(価格半減と大量の小麦供給)で労働者反乱を抑え込んだ。以後、現在に至るまでかろうじて均衡状態を保っているにすぎない。
 アルジェリアは、91年総選挙で勝利した勢力を軍がクーデターで弾圧して以降、10年に及ぶ内戦が続き、死者は15万人以上と言われている。
 ウランを巡る略奪戦と戦争… (後略)
(★全文は→→http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no13/f2569sm.htm#a1_2 )
posted by 東京西部ユニオンブログ at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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